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福岡地方裁判所 昭和44年(わ)443号 判決

被告人 仲照行

昭二〇・三・一五生 タクシー運転手

主文

被告人は全部無罪。

理由

第一、本件公訴事実は、「被告人は、昭和四四年七月六日午前零時過ぎごろ、友人の男一名、女二名とともに、宗像郡大島村大字谷通称岩瀬海岸キヤンプ場において、テントを張り就寝中、キヤンプに来た女性を姦淫しようと話し合つて同所に来た高島直大(二〇年)らから、パンをくれと因縁をつけられたうえ、いきなりテントを倒され、ようやくテントから這い出たところを「女を貸せ」と言われて畏怖驚愕し、その場から逃げ出そうとしたが、右高島から進路を立ち塞がれたのに激昂し、機先を制して所携の刃渡り一四センチメートルの登山用ナイフで同人の腹部や胸部を二回突き刺し、よつて心臓刺創に基く心臓損傷による心嚢タンポナーデにより同人を即死させ、更に被告人らの逃走を阻止しようとした船越一宏(一九年)に対し右登山用ナイフでその腹部を一回突き刺し、同様逃走を阻止しようとした立石強(一九年)に対し右登山用ナイフでその胸部を一回突き刺し、よつて船越一宏をして右刺創に基く下大静脈刺入により同日午前六時一五分ごろ宗像郡福間町二、七二〇番地津留病院において失血死するに至らしめ、立石強に対し全治一〇日間を要する胸部刺創の傷害を負わせたものである。」というにある。

第二、証拠(略)を総合すると、

一、被告人は、一泊二日のキヤンプ生活を楽しむため、婚約者因幡民江(当時二二才)、因幡の友人木戸和子(当時二二才)木戸の友人松岡良人(当時二六才)と共に、昭和四四年七月六日午後五時ごろ、宗像郡大島村大字谷通称岩瀬海岸キヤンプ場に到着し、以後同所において魚釣り、磯遊び、飲酒等をした後、午後一〇時ごろ、テントの中入り就寝していたこと、

二、被告人らがテントを設営した場所は、その南方を除き周囲三方を山ないし岩場で囲まれ、その周辺には人気はなく、直近の民家であるその南方の同村岩瀬五四八番地遠藤逸美方までは約四〇〇メートルの距離があり同人方に至る途中までは道路はなく岩場、石浜で足元悪く歩きにくいこと、

三、当夜の天候が曇天で月明りも星明りもないうえ、同キヤンプ場附近には全く照明がなく、同所は間隔二メートルで互いに人であるということが、同一メートルでその目、鼻がそれそれぞれわかる程度で、ほとんど暗黒に近い状態であつたこと、

四、被告人、因幡、木戸は前夏にも同所においてキヤンプをした経験を有し、本件キヤンプにおいては被告人がその引卒者ないしは責任者的な立場にあつたこと、

五、一方、高島直大(当時二一才)、船越一宏(当時一九才)、立石強(当時二〇才)は、いずれも大島村の住民であり、同日午後七時半ごろから午後一〇時過ぎころまでの間に西浦青年会場で友人の原昭虎、井手通信、井手清輝らと共にビール三ダースを飲んだ後、原の経営する寿司屋に行つたが、右グループ内では高島が最年長者で、同人の性格は粗暴であり、他の者はかねてから同人の言にはことの善悪を問わずこれに追随していたこと、

六、同寿司屋において雑談中、帰宅するために一旦席を外した高島が戻つてきて、「見知らぬ二人連れと喧嘩をしてきた、岩瀬にあんなのがおるから行こう」と他の者を誘い、高島、船越、立石、原、井手通信、井手清輝は岩瀬海岸に向かつたが、高島が同海岸で釣餌を採つていた田中勝生らに因縁をつけて、同人らを殴打したところ、たまたま同人が同村岩瀬の住民村上進の親戚であつたことから、かえつて右村上に叱責されるに至つたため何か他にそのうつ憤を晴らしたい気持になつていたこと、

七、その後、更に高島の「テントが張つてあるところに行こう」との誘いに従い、高島外五名は被告人らが張つていたテントに向かつたこと、

八、その途中、高島らは被告人の連れの女性を強姦することを共謀し、そのため、井手清輝は一行より先に行つて男性のキヤンプ客に因縁をつけ、相手側から先に手を出させる役、高島、原、井手通信は井手清輝の後から行つて男性のキヤンプ客を叩く役、船越、立石は逃げ出したキヤンプ客を捕える役と各自の分担を決めたこと、

九、右計画に従つて、先ず井手清輝が単身テント入口に至り、中で眠ていた被告人らを越こし、威迫的な声で「おい、飯があろうが、食わせろ」と申し向けて食べ物を無心するなどしている間に、高島、原、井手通信がほぼテントの周囲を囲むようにして集まり、井手清輝が再度に亘り食べ物を無心している際、高島が突如大声を出しながらテントを乱暴に引き倒したこと、

一〇、高島、原、井手清輝、井手通信は、倒されたテントから這い出した被告人らの周囲を囲むように包囲し、井手通信が被告人らに、「女を貸せ」等と申し向けたこと、

一一、被告人は右高島らが夜間他人のキヤンプ中のテントを多数人で襲う不良徒輩であるから、如何なる兇器を所持しているやも知れず、またこれで如何なる危害を加えられるかも知れないものと恐しく思いながら、当キヤンプの責任者的立場にある自分が同伴者らを安全に同所から逃走させなければならないと考えたこと、

一二、その場から逃走しようとした被告人の前に立ち塞がつた高島が「何や」などと言つて被告人を蹴りつけるなどをしたところ、被告人は右手にたまたまキヤンプ用に持参していた登山用ナイフ(昭和四四年押第一二七号の一)を握りこれを真すぐ突き出し高島の胸部を二回突き刺したこと、その結果高島は翌六日午前一時二〇分ごろ、同所において、上胸部刺通、右室刺入に基く心嚢タンポナーデにより死亡したこと(以下便宜上この附近を第一現場と呼称することとする)、

一三、第一現場より被告人は同伴者と相前後して、唯一の逃げ道が通じている南方の前記遠藤逸美方の方向に必死に駈けて逃げ出し、約二、三〇メートル走つた地点において(以下便宜上この附近を第二現場と呼称することとする)、予め被告人らの逃走を阻止しようと待ち受けていた船越にその進路を塞がれ、被告人は右ナイフで同人の腹部を一回突き刺したこと、その結果船越は同日午前六時一五分ごろ、同郡福間町二、七二〇番地津留病院において、下腹部刺入、下大静脈損傷に基く外傷性失血により死亡したこと、

一四、更に、被告人は、第二現場より南東五、六メートルの附近において(以下便宜上この附近を第三現場と呼称することとする)、テント附近より右遠藤方の方向に逃走中の松岡、木戸両名の進路を妨害していた立石の胸部をナイフで一回突き刺したこと、その結果立石は入院加療一週間を要した胸部刺創の傷害を負つたことなどの事実を認めることができる。

第三、弁護人は、被告人の本件行為は自己の生命、身体並びに同伴女性の貞操を保全するため已むことを得ざるに出でた正当防衛行為であり、仮に然らずとするも防衛の程度を超えた過剰防衛行為である旨主張するので、本件各事実につき、正当防衛の要件の存否を判断することとする。

一、「急迫不正の侵害」の存在について。

先に認定した如く、高島、船越、立石ら六名は、相協力して被告人の同伴女性を強姦する目的で被告人らの就寝する前記のテントの周りに集り、被告人らに食べ物を要求した後、高島において大声を出しながら乱暴にテントを倒し、井手通信において「女を貸せ」と申し向けて、倒れたテントから這い出て来る被告人らを捕えた上強姦行為に及ばんとしたこと、そして高島は、ようやくテントから這い出て逃げようとする被告人に突きかかつて蹴り上げていること、船越および立石は右テントから約二、三〇メートル離れた地点にあつて被告人らの逃走してくるのを阻止する役割を分担していたもので、現実に、船越は、第一現場より逃走する被告人の前に立ち塞がつてその逃走を阻止し、立石は、テント附近より逃走する松岡、木戸両名に立ち塞がつてその逃走を阻止していること、などの事実に、前記本件現場の地理的、時間的状況、高島が本件の直前に田中勝生らにとつた行動、高島の船越らに対する影響力などを考え併せると、高島、船越、立石らの各行為は正に被告人らの生命、身体並びに被告人の同伴女性の貞操に対する強度の急迫不正の侵害に外ならないものというべきである。

二、「防衛の意思」の存在について。

被告人の当公判廷における供述、被告人の司法警察員および検察官(昭和四四年七月一六日附)に対する各供述調書で、特に、明らかであるように、被告人は、高島によつてテントが倒された後、井手通信の「女を貸せ」との言葉を聞くまでは、自己および友人達の生命、身体に危険が降り懸つてきていることを、そして井手通信の右の言葉を聞くや、更に同伴女性の貞操にも危険がさし迫つていることを察知しており、第一、第二、第三現場における各刺傷行為に際して、被告人に高島、船越、立石らの自己並びに同伴者に対する急迫不正の侵害から自己並びに同伴者の生命、身体、貞操を防衛しようとする意思があつたことは明らかである。

ところで、被告人の司法警察員および検察官(昭和四四年七月一二日付)に対する各供述調書、松岡良人の検察官に対する供述調書、因幡民江の司法巡査、司法警察員および検察官に対する各供述調書を総合すると、被告人は、本件の直前に木戸および因幡が高島らのテントに近づいてくる足音を聞きつけてその不安な気持を口にしたとき、枕元に置いてあつた本件登山ナイフを取り出し、木戸、因幡に「これ(ナイフの意)があるから心配しなくてもいい、もし何かがあつたらこれで刺す」旨を言つたことが認められる。しかしながら、右言動は、右証拠からも明らかに認められるように、被告人が、高島らの直接的な侵害行為を受ける前段階において、木戸、因幡両名を安心させるために冗談的に振舞つたものに過ぎないと認めるべきであり、被告人は、現に、本件登山ナイフを直ちに元の場所に戻しているのである。従つて、被告人の右言動を根拠にして直ちに被告人の本件各行為が防衛的意思によるものではなく専ら攻撃的意思に基づくものであるということはできないのである。

三、被告人の本件各刺傷行為が「已むことを得ないもの」であることについて。

前示認定事実のとおり、高島、船越、立石らの被告人らに対する攻撃は、その計画性、当事者間の人員的関係、現場の地理的、時間的状況などからして被告人および同伴者達の生命、身体、貞操に対する強度の危険性が認められ、この様な状況下で被告人が自己および同伴者達の生命、身体、貞操を守るため何等かの防衛行為をなすべき必要は十分に窺えるのである。従つて本件において問題とされるべきは、被告人が登山ナイフを使用した行為が防衛手段として相当性を有するか否かである。

本件においては、高島は論外として、船越、立石両名には被告人らに対する強度な直接的、攻撃的行為があつたとは必らずしもいうことができないが、先に認定したように、船越、立石も高島らと一体となつて被告人の同伴女性を強姦しようと共謀し、その計画の一環として被告人らの逃走を阻止したのであり、被告人らに対する侵害行為として評価する限りにおいては、単に船越、立石両名の個々の行動を個別的に把えるのみでは不十分であることは言うに及ばないところである。従つて、船越、立石両名の被告人らに対する本件阻止行為も高島の被告人らに対する侵害行為と何等異るところのない程強度の侵害に該るものと解する。

しかして、本件行為当時、被告人は、深夜、暗黒に近い闇の中で、南側を除く三方を山、岩場などに囲まれた現場に、全く袋の中の鼠同然の状況下にあつて、高島ら六人の違法な侵害行為に遭遇し、同人らが多数人で、しかも如何なる兇器を所持しているやも知れず、またこれで如何なる危害を加えられるかも知れないものと恐しく思つていたことや(相手方の立ち居振舞いや所持品について十分に認識することができない本件状況下において被告人が右のように思つたことは当然でこれを非難することはできない)、被告人らの前記各法益を保全するために同所から何とかして同伴者を逃走させかつ自己も逃走せんものと必死になつていたので、冷静な判断力を失つていたことなどの諸事情を併せ考えると、被告人の行為は、第一、第二、第三現場における各刺傷行為とも、いずれも高島、船越、立石の胸部あるいは腹部を狙つて刺したものと言うよりも、むしろ被告人が当公判廷において述べたように、無我夢中でナイフを突き出したのが、たまたま高島らの被告人に向おうとする姿勢などと相まつて高島らの胸部、腹部に刺傷を与える結果になつたと認定するのが相当であり、そして、高島らからの被告人らの重大な法益侵害行為に対する反撃行為として他に適切な手段、方法の考えられない本件において(現場に咄嗟に使用できる棒切れなど適切な反撃道具は存在しなかつた)たまたまキヤンプ用に所持していた本件ナイフで各被害者を右のような態様で僅か一、二回宛突き刺した被告人の各刺傷行為は当時の右具体的事情上まことに已むことを得ざるに出た行為と判断するのを相当と解せざるを得ないのである。

第四、従つて、被告人の本件各所為は、高島、船越、立石らの自己および同伴者の生命、身体、貞操に対する急迫不正の侵害に対し、これらを防衛するため已むを得ずなした相当の行為であつて、刑法第三六条第一項の正当防衛に該当し罪とならないものであるから、刑事訴訟法第三三六条前段を適用して被告人に無罪の言渡をすることとする。

よつて、主文のとおり判決する。

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